箪笥のひきだし

株式会社TAN-SU代表。コンテンツプロデューサー。畑楽人。地域や産地のPR戦略やメディア企画、情報開発、コンテンツ制作、商品開発など多数プロデュース。オンラインショップ『おちゃのま商店』の運営。高知県日高村オムライス大使。野菜づくりはルーティーンワーク。

#90 3.11に思うこと。

2021年3月11日(木)、早朝
3.11 複雑な数字です。僕が震災について語っても薄っぺらいことしか言えないですが、2011年当時を振り返って思い出すことがあります。まず大きな人生のトピックとしては結婚したこと。実は震災が起こった10日後の3月21日に僕たち夫婦は都内で結婚式を挙げる予定で準備をしていました。そんな中で大地震が起こったわけですが、東北の親戚も結婚式に参加している場合ではなくなってしまったり、式場も建物も破損もあって式ができる状態ではないということもあったし、日本中が混乱の中で自分たちだけ呑気に結婚式を挙げている場合じゃないと考えて延期しました。そんなドタバタがあったわけです。

震災で多くの命が失われていったことは言いようのない悲しさがあります。でも目の前で僕も消えてゆくであろう命と向き合ってもいました。実は母親が末期の癌でもあって、僕の結婚式を楽しみにして辛い治療に耐えてきたし、なんとか結婚式を見せてあげたいと思っていたからです。父親には見せられなかったので母親にはなんとか見せてあげたい、でも余命はもう残りわずか・・・そんな状態で仕事とプライベートでバタバタでした。

都内から実家に移り住んで仕事に通いだしたことで結構ハードワークになってしまったし、同時に母親の病院の送り迎えや看病も重なって当時のことはあまり覚えていないくらいです。会社にも迷惑をかけてしまいました。そんなこともありながら結婚式をなんとか取り決めたかったんですが、色々準備もあって結局は2011年11月に式を挙げることができました。母親も必死で頑張ってくれて病院から条件付きで許可をもらって式に参列することができました。


このことを話すと辛いというか不思議というか、結婚式で母親が各テーブルに挨拶に回り終わったと同時に体調を崩してしまい途中退席して病院で戻ることになりました。弟が付き添ってくれて病院に戻ることができたんですが、そこから昏睡状態になり10日後に息を引き取りました。まさにギリギリの状態で結婚式まで生きてくれていたんですね。


震災では多くの人の命が失われましたが、震災であろうがなかろうが一人一人に大切な家族や守るべき命があります。でも震災というもので、さっきまで一緒にいた家族が目の前から消えてしまう悲しみはいかほどか。同じ命なんだけど、僕は心の準備ができていました。それだけでも幸せだと思えるようになった。

 

2011年3月11日に思うこと、そんな表現がいいかわかりませんが、今の自分が生きていること、些細な日常がある幸せを噛み締めないとバチがあたる。底辺で僕を支えてくれている幸せが一番大きな幸せであることに気づいた年でもある。そんなことを噛み締める日でもあります。

 

山口やすゆき