箪笥のひきだし

株式会社TAN-SU代表。コンテンツプロデューサー。畑楽人。地域や産地のPR戦略やメディア企画、情報開発、コンテンツ制作、商品開発など多数プロデュース。オンラインショップ『おちゃのま商店』の運営。高知県日高村オムライス大使。野菜づくりはルーティーンワーク。

ラ・テ蘭

ラ・テ蘭ってわかりますか?

いわゆる新聞のラジオ・テレビ蘭の略称です。

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僕はこのラ・テ蘭の中にある放送業界という村にある会社に20年ほど通勤してまして、村の経済圏の中で様々な仕事を経験してきました。

 

新規事業の立ち上げなどに従事し、30代前半で部長職につかせてもらいました。今思えば僕のような人間を管理職にするんですから、よっぽど人材不足だったんでしょうね。でも役職が人を育てるではないですが、おかげさまで10年でいろいろ勉強しました。

 

それは置いておいて、ラ・テ蘭を見てもわかるように、地上波だけでもいろんな番組が存在しますよね。衛星放送や有料チャンネル、サブスクなどあわせると番組やチャネル数は無数にありますよね。

 

そして番組の数だけ面白い🤣の数があり、無数の面白いの種類が存在します。番組を擬人化してみてみると、なんとなく学校や会社組織の縮図にみえてきます。いろんな個性の集まり。

 

本が大好きな子もいれば、植物が好きな子やスポーツが得意な子もいます。愉快なムードメーカーでクラスの人気者もいれば、大人顔負けでやたらと経済に詳しい子、旅や散歩好き、勉強が得意な子、動物好きな子、漫画やアニメ大好きな子もいる。

 

🔺これは学校の特別授業とかでもよく話すことです。ヒーローにならなくても必ずそれぞれに必要な場所はあるということを話します。

 

放送業界という村は、様々な個性のある番組が集まって一つの形を形成しているのだと思います。多様な人たちに向けて様々な情報を届けているとも言えます。

 

放送業界を支えているのが、番組スポンサーです。スポンサーによる広告収入が放送村を支える屋台骨となっているわけです。

 

これまでテレビやラジオは、どちらかというと自分たちの作品を一方通行で視聴者に提供してきました。僕たち視聴者に無料で良質なコンテンツを提供し続けてきたテレビの功績は素晴らしいと思うし、僕たちもテレビによってたくさん感動をもらったのも事実です。

 

そしてメディアも個の時代に入り、スマホタブレット上のコミュニケーションに代わり、テレビ離れも進んでしまいました。テレビの前に視聴者が待ち受けてくれていた時代は終わり、どこにいても人々は見たいメディアを見たい時に見れるというフレキシブルでサブスクリプションな時代になりました。

 

放送業界における広告モデルのフォーマットは少しずつ崩壊していった!?ように思います。膨大な制作費をかけて番組を作ることに慣れているテレビ人たちは、スマホさえあればYouTubeで面白いコンテンツが作れてしまう人たちに立ち向かっていかなければならない。と思ってしまった。

 

話は元に戻りますが、テレビというのは視聴者に番組を提供していると言いましたが、ある意味テレビ側の都合で作品を作り視聴者に届けてきました。宿命としてスポンサーのための番組にせざるを得ない事情もあります。

 

僕はテレビメディアのコンテンツパワーの可能性はまだまだ無限だと思っているんですが、これからの時代はいかに『視聴者の求めるものを作ること』に特化できるかだと思います。スポンサー的に言うと消費者とも言えますが、お客さんや世の中が望むものを徹底的に作ることを前提に面白いコンテンツを作れたら、新たなメディアのあり方になるのではないか。

 

そしてテレビやラジオの持つ宣伝力をアドバンテージとして活かせたら大きいですね。雑誌もそうなんですが、費用対効果の測定が曖昧なわりに広告費が高いので、もっとマーケティングを大切にして、世の中が求めること、時代性、視聴者が求めることを解剖して適正な価格を導き出して、様々なサービスを提供していけたら勝機はありそう。視聴者に対して、世の中に対して徹底して媚びるという選択といったら怒られるかもですが。

 

ある意味YouTubeのようなコンテンツビジネスモデルに対抗せず、もっともっと広告モデルを追求することで、実は面白いコンテンツが生まれそうなのにと思ってます。

 

元々優秀なコンテンツを生み出すクリエーターや制作の方たちがたくさんいるわけだし、中継技術や映像クオリティといった強みもあるし、状況や条件に応じた柔軟な制作体制にしたり、ライセンス型の異業種とのマッチングビジネスなど、まだまだトライできる可能性はたくさんあります。

 

限られた放送枠から面白いコンテンツやサービスがどんとん飛び出していくことを期待してます。

 

既にラジオは音声メディア改革も始まってます。様々な音声メディアも登場している。やはり音は強い。映像や画面を見る余計な視覚作業がいらないので、人の行動を阻害しない強みがある。ながら作業ができる強みがあるのと、より手軽で必要な情報を取り入れることができる良さがある。ラジオ局も個人広告も多用になったり、リスナーに新しいラジオの活用の仕方を提案している。

 

コンテンツを作る我々のような会社は、従来のマスメディアだけをメディアと錯覚せず、世界中の空間やスペース、あらゆる物体、組織、もしかすると実在のしない誰かの脳内、空想空間までもがメディアかもしれないと思わないといけない。少なくとも僕は思ってる。

 

そして街の商店のようにコンテンツを直売し、薄利多売ビジネスをする庶民感覚であり続ける必要がある。野菜も作れないような大人が食の番組をやってるのか、なんて思われないように常に庶民感覚を持った生活者であり続ける必要があると思う。だから平時は鍬を握ることにしている。

 

目に見えるものだけが正解とは限らない。

 

僕たちも微力ながら未来のテレビやラジオと密接に関われるように個性を持って、世の中の多くの人に喜んでもらえる楽しいコンテンツを発明したい。

 

勝手ながらそんな風にテレビやラジオの未来を見ています。