箪笥のひきだし

株式会社TAN-SU代表。コンテンツプロデューサー。畑楽人。地域や産地のPR戦略やメディア企画、情報開発、コンテンツ制作、商品開発など多数プロデュース。オンラインショップ『おちゃのま商店』の運営。高知県日高村オムライス大使。野菜づくりはルーティーンワーク。

路面凍結注意!足元をすくわれ大怪我!起業を決意した6年前のことを回想してみる。

2021年1月29日、早朝。
昨日は初雪!?でしたね。朝から手先に寒さが刺さってくるような感覚でしたが、夕方から雪が降り出して、積もるかなぁって思ったけど夜には雨に変わりましたね。でも今日の朝はおそらく地面が凍っているので気をつけねば。

6年前の2月6日、うわ、書いてて怖いけど。死んだ母親の誕生日。そしてまもなく2歳になる娘の誕生日でもある。そして僕が骨折した日でもある。


僕はまだ前職場に勤めていた時だったけど、その日は朝一の打ち合わせがあって、結構急いでいました。乗り換えの便利な近くの駅まで横着してタクシーで行ったんですね。支払いを済ませてドアを開けてもらってタクシーを降りた瞬間、凍結した地面に足をすくわれ、すってんころりん。運悪く縁石とガードレールの隙間に右足が挟まってられボキッ、ボキッ、ボキッと鈍い音がしました。〜こわ。

結局、右足首を3箇所骨折&脱臼&靭帯損傷という聞いているだけでゾワっとする大怪我をした。骨折した瞬間に周りの景色がスローモーションになっていったことは今でも記憶から離れない。いろんな人が僕と同じようにすっ転んでいるのに怪我したの僕だけ。実はその日、流山市は凍結注意報が出ていて、そんなことも知らずに何の警戒もせずタクシーから降りたんっだった。

救急車が来て、受け入れてくれる病院を探すまでの地獄の30分は今でも忘れないし、言葉にならない痛みってあるのねと思い知ったのでした。。。

病院に着くと折れた状態でノー麻酔で脱臼した骨を戻しました。ほんの一瞬でハマったけど恐怖感はとてつもないwでも足がハマった瞬間にとっても痛みが和らいで楽になった。って言っても骨は折れているんですけどねw

ただただ忙しかった日常からの脱出。怪我をして真っ先に思ったこと「あ〜休める」

病院に着いてすぐに治療してもらい痛い止めの点滴など射ってから手術の段取り。腫れがひいてからでないと手術ができないということで、1週間後に手術をすることが決定!病院のベッドの上で会社や取引先に連絡が全て終わった時に浮かんだ言葉は、「あ〜、これで休める」でした。


忙しかった。何に忙しかったのか記憶にないほど忙しかった。朝から晩まで働いて、夜中にスタッフと居酒屋で食事して、また朝に出勤する。当時はまだ前職場でTAN-SU事業部の運営をしていて、部長という立場もあって、自分の事業部の運営だけでなく会社全体の事業サポートや他の部署のサポートなどなど、やることが多すぎて今思えば心休まる日なんて一日もなかったように思います。自分の人生を考える時間も余裕もないという感じです。

そんな状態を見かねた天国の母親が一旦ゆっくり人生について考えなさいと荒治療でも神様に依頼したのかな。怪我でもしなけりゃこの子は立ち止まらないって思ったんだろうかな。ベッドの上で強制的に休むことになってしまったおかげで、自分の人生についてゆっくり考えることができました。


面白いことに、自分が居なくても後輩達や仲間がフォローしてくれたおかげで仕事は決まっていくし、果報は寝て待て状態。「僕が居なければ仕事が回らない」なんて幻想でしかなくて、僕の代わりなんて誰でもできる。そう思った瞬間に全身の力が抜けて脱力状態になったのを覚えていて、その時に「会社を辞めよう」と決意。これからの人生は自分が本当に楽しめるものだけをやろうと決心したのでした。入院中は本当いろんな本を読みあさり、病院食のおかげで体重も10キロ減って心身共に健康な状態に戻ったのだった。

 

答えは同じ。でもプロセスが違う「自分のため」と「誰かのため」

会社を立ち上げる前の話をします。
芸能界で15年間スリ込まれた「自分のために働け」「会社のために働くな」、こんな教育を受けてきました。自己追求をすることが結果として誰かの役に立つんだから自分を磨きなさい。という考え方はすごく真っ当だと思う。でも僕にはどうしても自分のために仕事をするっていうモチベーションがフォットしなかったんです。競争社会、ビジネスの世界では自己確立や自己主義的な考えは当然だけど、僕の場合、競争意識がとてつもなく少ないので、成功者の方からも自分のために仕事をしないと勝てないぞ!なんてことも言われたりしました。

当時はスタートアップのベンチャービジネスで成功している人が増えてきたこともあって、早く儲かるヒジネスを開発しろと、会社の経営陣からは言われたのもだ。早く利益を出すことが価値なのか、価値を作ることで利益に繋げるのか、どちらもビジネスの考え方ですが、要するに短期か中長期かという話です。後者なら投資資金が必要ですが。

個人も組織も自分のスキルを徹底的に磨くことによって成功していく人は競争社会では強い信念になります。お守りは自分スキルですから。一方僕のような誰かの為に働きたいって思っちゃうオメデタイ奴は、状況やニーズに合わせて必要なスキルを身につけるタイプです。常に変化しながら自分のスタイルを形成していくので収益化まで時間がかかる。どちらも同じようにスキルアップをしているんですが、ボクシングで言うと一撃必殺KO狙いのパワープレー派か、ジャブもストレートもバランス重視で判定勝ちの多い技巧派かってところだろう。


でもそもそも芸能界全体かもしれませんが、前の会社は事業投資の文化が薄い会社だったので(批判ではなくタイプのこと)、新しい事業をスタートするにしても会社は早期利益を求めるので、中長期的な戦略が組めなかったのを思い出します。そのため僕は会社から予算をもらわずTAN-SU事業部を立ち上げ、ある意味社内ベンチャーとして自分で営業してスタッフの固定費を工面しながら新しい事業開発への投資資金を集めていきました。

集めたお金で音楽事業や地域活性事業を立ち上げ、新しい地域事業の形や自己のスタイルを生み出せましたが、ライセンス化して大きな収益化まではもう少し時間がかかると見ていたのですが、あとは会社がどこまで待ってくれるかどうかですね。商標登録や特許を申請したのも会社の歴史の中で僕が初めてじゃないかな。そんな時に骨折ですw 当時はある程度会社からも期待はされていたとは思います。

 

話が戻りますが、骨折した日、病院のベッドの上で会社を辞める決意をしました。
それから1年後に株式会社TAN-SUを立ち上げるわけです。重たい鞄の中身を減らして、自分の生きたいように生きてみるという選択も人生においては正解なんじゃないかと。

TAN-SUビジョンは
「誰かのために働く、それが社会のためになる」です。

価値から生まれるコミュニケーションが財産という考えです。自己利益が抜けていますが、これが実現できれば必然的に自分は幸せになっているという考えです。大袈裟に言うと自分の利益なんて考えず、価値を生み出すためにいろんなチャレンジを繰り返すことをが大切、というのが僕の考えです。価値はコミュニケーションを生み出し、きっと自分以外のどこかの誰かに引き継がれていきます。

時代が流れる中でいろんな価値を生み出し、いかなる状況においても人とのつながりを作れるしなやかさと強さを持つことが大切だと感じています。

生命科学の専門家の高橋祥子さんの多様性の見解が面白かった。


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社会のために働くことが人間として一番美しいと思うけど、理想論を唱えても現実的に会社を運営して利益を上げていくのって大変です。自営業をやって5年、仕事を生み出す難しさと楽しさをあらためて感じています。これからの5年は価値作りを目指してチャレンジしていこう。ただし路面の凍結には十分気をつけて。

山口やすゆき